天王祭;神様たちのライカ
格子柄のお揃いの浴衣は、神皇車や湯取車の町内の子供たちでしょう。
ASA400のフィルム、ズミクロンと同じF2、50mmの標準レンズにレンジファインダーカメラ。
どなたにも信じて頂けないでしょうが、本人はこれでも
木村伊兵衛のパクリをやっているつもりです。
写真集にある輝くような絵にするためには、むしろ現像や焼き付けプリントも勉強する必要が
あるのかなー。
しかし今はネットですぐにM8やらM9をポチるとかなんとか
誰でもいえますが、吉江さんのコラムによると Leica M4(昭和42年6月発売)から
やっとシュミット商会がM型を扱ったとあります。
そうするとそれ以前のM3等(昭和29年発売 木村第一回外遊の年)の入手は、お金の有無だけじゃなく、
海外渡航の機会のある人もしくはそこに繋がる人脈がある人しかできないものだったんですね。
今でいえばスペースシャトル搭乗のお土産くらい貴重かな、いやマジで。
木村も外遊の帰りの香港でM3を入手したそうですが、ライカの神様でさえ
香港でなければ買えなかったのかもしれません。
外貨持ち出し制限100ドルだかなんていう時分のことです。
こちらに小津とライカIIIfの話がありました。
Leica M3にしてもIIIfにしても、小津、木村という神様だからこそ持つこと、
使うことが許されたカメラだったんでしょうか。